東京大学教授 狩野彰宏氏〜石筍が語る地球の記憶|古気候研究が金融リスク評価と気候予測に与える新たな視座

東京大学教授 狩野彰宏氏〜石筍が語る地球の記憶|古気候研究が金融リスク評価と気候予測に与える新たな視座

気候変動リスクへの対応が金融市場でも喫緊の課題となるなか、「過去の地球が経験してきた気候変動」を精密に読み解く古気候研究の重要性が高まっています。

東京大学大学院理学系研究科で長年にわたり古気候学・地球化学を研究してきた狩野彰宏教授は、鍾乳洞に育つ石筍(せきじゅん)の同位体分析を通じて、過去10万年間の気候変動を数十年単位という高い解像度で復元することに取り組んできました。

今回は、石筍が記録する気候の「記憶」が現在の気候変動予測や金融リスク評価にどのような示唆を与えるのか、またスノーボールアース(全球凍結)やガスハイドレートなど多岐にわたる研究についても、金融・経済との接点を交えながらお話を伺いました。

インタビューにご協力頂いた方

狩野 彰宏
東京大学 大学院理学系研究科 教授 

東北大学理学部を卒業後、同大学院で地質学・古生物学を修めた。その後スウェーデンのストックホルム大学に渡り、地質学・地球化学の博士号を取得。帰国後は広島大学理学部に助手として着任し、同大学院の助教授・准教授を経て、2008年に九州大学大学院比較社会文化研究院教授に就任。2016年からは東京大学大学院理学系研究科教授として研究・教育に携わる。

専門は古気候学・炭酸塩地球化学。鍾乳洞で育つ石筍(せきじゅん)や珊瑚などの炭酸塩試料に含まれる同位体を分析することで、過去10万年にわたる気候変動を数十年単位の高い解像度で復元する研究を長年にわたって手がけてきた。また、地球史上最大規模の気候変動イベントである「スノーボールアース(全球凍結)」の研究にも取り組み、生命と地球環境の相互作用という大きな問いに向き合ってきた。2013年からはエネルギー資源としてのガスハイドレートの地球化学的研究にも着手し、地球科学の多様な局面から地球と人類の未来を見つめ続けている。

>> 狩野先生の研究実績はこちら

目次

石筍が語る過去の気候変動と予測モデルへの貢献

Financial Academic Journal(以下 FAJ):狩野先生は石筍の同位体分析から過去10万年間の気候変動を数十年単位の高い解像度で復元されています。この研究で明らかになった気候変動のパターンは、現在の気候変動予測モデルにどのような示唆を与えるのでしょうか。金融市場では気候変動シナリオに基づくリスク評価が求められていますが、古気候データから読み取れる知見についてお聞かせください。

狩野教授:石筍からはさまざまな気候変動のパターンが読み取れますが、現在もっとも精度よく復元できているのは気温変化です。たとえば、今から8000年ないし7000年前の時代は温暖な時代であることはわかっていましたが、最近の研究では、現在の地球温暖化で上昇している気温よりも、さらに高かった可能性が見えてきました。つまり、今後の温暖化で私たちが経験する温度条件は、あの時代に似た状態になりうるということです。

狩野教授:一方で、気候変動において重要なのは気温だけではありません。降水量の変動も非常に重要で、洪水や干ばつといった問題に直結します。石筍から降水量を定量的に復元するのはまだ技術的に難しい部分がありますが、定性的には、7000〜8000年前の温暖な時代は現在より降水量が多かったと読み取ることができます。今後の温暖化が進めば、降水量も増加する可能性が高く、それは経済的リスクとも結びついてきます。

狩野教授:予測モデルとの関係でいえば、モデルは全体的な傾向をつかむのに優れていますが、石筍は採取した特定の地点における気候変動を克明に記録しています。複数の予測モデルが異なる計算結果を示すことがありますが、どのモデルが正確かを判断する際に、石筍のような実際の古気候データが非常に重要な『検証素材』となります。過去の気候変動をうまく再現できているモデルが、将来予測でも信頼性が高いと評価されるのです。

日本列島固有の気候変動リスクと産業・経済への影響

FAJ:先生の研究目標の一つに「温暖化する地球における日本列島の気候条件の予測への貢献」を掲げておられます。降水パターンの変化や極端気象の頻度変化は、農業・不動産・保険といった産業の収益性や日本経済全体にどのような影響を及ぼしうるでしょうか。

狩野教授:経済学は専門外ではありますが、地球科学的な観点からお答えします。まず確実なのは、高温化と、それに伴う降水量の増加という流れです。これはすでに現実に起こっていることで、これまで育っていた農作物が育たなくなる、あるいは今まで水揚げできていた魚が取れなくなるといった変化は、現在進行形の問題です。

狩野教授:不動産セクターについては、洪水リスクが特に重要です。自治体が公表している洪水ハザードマップにも反映されていますが、土木事業によって現在は多くのリスクが軽減されているものの、7000〜8000年前のように温暖で降水量が多かった時代に繰り返し浸水していた地域は、今後また浸水リスクが高まる可能性があります。古気候データはそうした地域を特定するための手がかりになりえます。

狩野教授:自然災害のリスクはどうしても高まっていくでしょう。農業、水産業、そして不動産・保険といったセクターが気象変化に対応した経営を考えていかなければならない時代はすでに到来していると思います。ただ、降水量の変化を定量的に精度よく復元することは、私自身の今後の努力目標でもあり、より正確なデータの提供を目指していきたいと考えています。

ガスハイドレート:エネルギー安全保障への可能性と現実的な課題

FAJ:2013年からガスハイドレートの研究にも取り組まれています。日本近海に豊富に存在するメタンハイドレートの実用化は、エネルギー安全保障や化石燃料の輸入構造を変え、為替市場や貿易収支にも大きな影響を与える可能性があります。地質学的な観点から、開発の可能性と課題についてお聞かせください。

狩野教授:率直に申し上げると、ガスハイドレートそのものを資源として直接採掘・実用化するのは、技術的にまだ非常に難しい段階です。残念ではありますが、現時点ではそれが正直なところです。

狩野教授:ただし、ガスハイドレートが形成されるためには、その下に天然ガスの資源が必ず存在するはずです。つまり、メタンハイドレートの存在は、日本近海に天然ガス田が眠っている可能性を示唆しています。そうした観点から、日本近海のガス田・油田の探査をさらに進めていく価値はあると思っています。

狩野教授:また、日本が輸入している石油の約4割は、実は日本の石油会社が海外で採掘に関与したものです。100パーセント外国から買っているわけではなく、日本企業が世界の探査に携わっている。そうした自主開発の比率をさらに高めていくことが、エネルギー安全保障にとって有効な戦略だと思います。国内資源の探査と、海外での自主権益の拡大、この二軸を進めることが重要です。

スノーボールアースが教えるテールリスクの本質

FAJ:研究されているスノーボールアース(全球凍結)は、地球史上最も劇的な気候変動の一つです。地球が実際に経験したこうした極端な環境変動の知見は、金融市場が「テールリスク」を評価する上で、どのような教訓を与えると思われますか。

狩野教授:スノーボールアースは確かに極端な寒冷化ですが、むしろ注目すべきはその「終わり方」です。全球凍結が終わる際、大気中の二酸化炭素濃度が極限まで高まることによって氷が溶け始めます。ところが、氷が一度溶け出すと急速に溶けていくのに、温室効果ガスはまだ大量に残っています。その結果、地球は一転して極端な温暖化状態に陥り、平均気温が40℃に達するような環境になっていたと考えられています。

狩野教授:これは現代への警鐘ともいえます。温暖化が進むと、北極や南極の氷が急速に溶け、海洋深層水循環が止まる可能性があります。深層水循環が止まると深海に酸素が届かなくなり、海洋生態系が根本から変容してしまいます。ただし、そこまでの極端な状態になるには数千年から数万年の時間が必要であり、現代の温暖化がそのままスノーボールアースの終焉後に匹敵する状況にはならないと思います。

狩野教授:金融市場のテールリスクという観点で言えば、地球の気候システムには『ティッピングポイント(転換点)』が存在するということが最大の教訓ではないでしょうか。一定の閾値を超えると、それまでの変化とは質的に異なる大きな変動が連鎖的に起こりうる。スノーボールアースはその極端な例ですが、現代においても小さな変化の積み重ねが突然の大きな変化をもたらすリスクは実在しています。

気候科学と金融・経済の連携に必要なこと

FAJ:近年、ESG投資の拡大に伴い、企業の気候関連リスク開示の重要性が高まっています。一方で、気候変動の科学的知見と金融市場での活用の間にはまだ大きなギャップがあるとも指摘されます。地球科学の研究者として、両者がより効果的に連携するためには何が必要だと思われますか。

狩野教授:ESG投資について正直申し上げると、私自身はその仕組みをよく知らない部分もありました。ただ、ご説明いただいた内容を踏まえると、気候変動に対応したビジネス、たとえば屋内農業のような気象に依存しない農業形態、あるいは高温下でも人が生活できるサステナブルな都市設計などへの需要は、今後確実に高まっていくでしょう。

狩野教授:私たち気候研究者にできることは、温暖化が進んだ場合に何が起こるかを科学的なデータに基づいて明示し続けることです。災害リスクの増大、一次産業への打撃、そうした事象を定量的に示すことが私たちの役割だと思っています。

狩野教授:ただ、現状の課題として、過去の降水量パターンなどをまだ十分に定量的には復元できていません。気候科学が金融リスク評価に活用されるためには、私たち研究者がより精度の高いデータを提供し続けることが前提条件です。そのうえで、気候科学者と経済・金融の専門家が対話できる場が増えていけば、両者の知見がより実践的な形で結びついていくのではないでしょうか。今回のような取材がまさにその一つのきっかけになれば、大変嬉しく思います。

まとめ

「過去の気候の記録が、未来の気候の鍵を握る」——狩野先生のお話を通じて、石筍という小さな自然の記録物が、気候変動予測や金融リスク評価にとって貴重なデータ源であることが伝わったのではないでしょうか。

7000〜8000年前の温暖期は今後の温暖化を先取りした気候モデルの検証台となり、スノーボールアースは気候システムにおける「ティッピングポイント」の存在を教えてくれます。ガスハイドレートについては即時の実用化より探査の深化と自主権益拡大が現実的な戦略であることも示唆されました。

気候科学と金融・経済の世界の連携はまだ発展途上ですが、科学的なデータの精度向上と、異分野間の対話の機会を積み重ねることが、その橋渡しになっていくでしょう。

取材・執筆:Financial Academic Journal

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

金融・経済分野を中心に、国内トップクラスの研究者へのインタビューを行っています。学術的な知見をビジネスの現場で活かせる形でお届けすることを目指し、一つひとつの取材に丁寧に向き合っています。

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次